人権に関するデータベース
研修講義資料
「犯罪被害者の人権 成立の過程と今後の課題
- 著者
- 林 良平
- 寄稿日(掲載日)
- 2012/03/28
私は、今ご紹介にあずかりました全国犯罪被害者の会、通称「あすの会」と申しますが、今年1月23日の集会で第2代目の代表幹事を拝命いたしました林良平と申します。
今日のこの講義では今ご紹介いただきましたように犯罪被害者の人権ということでお話させていただきます。
さて、この犯罪被害者の人権というのは第三者による重大な人権侵害でありながら、2004年の犯罪被害者等基本法ができるまで、ほとんど顧みられることがありませんでした。
今日のこの講義では、そうした犯罪被害者の人権というものに関して、犯罪被害者等基本法の成立までの私たちの活動、そして、これからの課題をお話させていただくことで、今後のさらなる行政のサポートの進展を願うことをお願いしたいと思っております。
犯罪被害者の人権と申しますと、皆様方の気持ちはひょっとしたら被害に遭った私たちをどう救うかという視点で今日の話をお聞きになるかもしれません。しかし、現実はこれから犯罪に遭う、また被害に遭ってない国民全体の問題なのです。いまだ被害に遭ってない人たちが、あす被害に遭ったときにどうするのか。皆様方の周りの人に被害者が出たときにどうなるか、というところが大きな焦点なのです。
特に、刑事司法においては、過去の被害者である私たちが、さまざまな活動をしてきたことで、いろんな権利が確立されました。しかし私たちにこれらが遡及することはありません。今日これから、ここでお話する話は、まだ被害に遭っていない人たちの問題でもあることも、決して忘れないでお聞きいただければありがたいです。
今日は、皆様方のお手元にある資料に沿って、いろいろお話をさせていただきたいと思います。また途中でDVD等も使いながら、皆様方のご理解を深めていただけたらと思っております。
まず、ページ開けていただいて、新聞記事があります。これが自己紹介といいますか、私の事件です。私、全国犯罪被害者の会、「あすの会」の代表幹事でありますけれども、幹事が13人おりまして、その中で唯一遺族でない被害者です。殺人未遂事件の被害者家族です。
私の妻は看護師でして、大阪市の第三セクターである大阪社会医療センターで働いておりました。平成7年1月25日、阪神・淡路大震災の8日後に、妻が社会医療センターの勤務の帰り、信号待ちをしていたところで、いきなり出刃包丁で腰部を背中から包丁の根元まで突き刺されました。出血性のショック状態になりまして、血圧50しかない状況で緊急搬送され、手術をしました。刺されたのが5時20分か25分ぐらい。手術が済んで、命が助かりそうだと聞いたのが、深夜の12時半ぐらい。手術室でいろいろな処置が済み、やっとICUに入れ、妻の顔を少し見られたのが、夜中の3時半でした。
本人は意識不明で、手術中の総出血量が7,955ccでした。約40日入院しまして、全部で10リットルも輸血いたしました。
腰の筋肉が真横に切断されまして、事件からおおまか17年経っておりますが、いまだにその後遺症で、痛みがきつくてモルヒネを処方されており、ほとんど寝たきりです。外出時には電動車いす、もしくは私たち家族が手押しでやるしかないという状況です。
この資料にありますように、去年の1月25日未明に時効が成立しました。1月24日は次男の6歳の誕生日でありまして、その翌日に事件が起こったのです。
男の子が2人おりまして、小学校1年生と保育所の年長組でした。事件の後、妻の介護と子ども2人の育児で、私の仕事は非常に制限され、午後2時から駅前で経営していた鍼灸院を閉鎖せざるを得なくなり、収入は減りました。妻は勤務先の病院を解雇されました。そのような状況の中、医療費は自己負担でありました。かなりの金額を自己負担してきております。
冒頭申しましたが、犯罪被害者の人権というのは大きく分けて2つの要素があると思っています。
刑事司法の中における被害者の人権。これがひとつ。これは長い間全く認められてきませんでした。
そして2つ目に経済的補償の問題があります。これから少しお話しますが、これはないに等しいものでました。
経済的補償の中に、被害者の医療費という問題があります。
被害者の経済的補償問題は1981年、犯罪被害者等給付金支給法ができましたが見舞金程度のものでしたす。つまりこの中には医療費の補償という項目は全く入っておりませんでした。
ですから、戦後からこれまで犯罪被害者の権利に関しては、刑事司法では何の権利も認められず、経済的補償問題でもあってなきがごとしでした。そして、医療費は自己負担でした。
一方、犯罪者の医療費は刑務所に入っていれば税金から払われております。犯罪の途中で犯人が傷ついた場合の治療費、これも全部国が負担します。しかし、犯罪被害者には全くなく、あたかも被害者が悪いかのように犯罪被害者の医療費自己負担が当然のように求められていたのです。
この医療費問題は、先ほど申しました1981年施行の犯給法が、2000年に20年ぶりに見直されまして、ようやくこの医療費の問題に焦点が当たり改正されました。2001年から施行されたわけですが、健康保険を使用した後の3割部分を事件から3カ月間公費で負担しようという内容です。たったこれだけの事が、犯給法ができてから20年もかかった訳です。
しかし、よく考えてみてください。遺族の場合、犯罪被害者の方はもう亡くなってしまっていますが、犯罪被害に遭って身体の障害の程度の大きい人ほど、つまり植物状態になった犯罪被害者、残された家族の人たちの経済的負担は多大です。3カ月間だけの公費負担、これで足りるものでしょうか。それはおかしいと私たちは声を上げて、さらにそこが見直しされました。そして、1年間は医療費負担をしてくださるようになりました。これが現状です。
ですが1年過ぎたら、また被害者負担が復活するわけです。これらをどう救っていくのかも喫緊の問題です。また私の家族の問題で言いますと、事件があったのが1995年であります。ですから、はなから対象者外ですよね、遡及しないわけです、ずっと被害者負担。ずっと払ってきています。本当にすごい金額になりました。
なぜ被害者を救わなければならないのか。
私は夫という立場から見ると、私の妻が独身の看護師でこの事件に遭っていたら、多分この社会では生きてゆけなかったと思います。夫である私の収入で支えるしかなかったわけであります。皆様方の家庭でこういう事件の被害者になったと、個別に想像してみてください。許せるでしょうか。耐えられるでしょうか。精神的にも。経済的にも。
この犯罪被害者等基本法ができる前、私たちは、本会場のある神戸市など、あちこちの自治体に、地方自治法99条に基づく意見書提出を求めて説明にまいりました。そのとき、議員の方々が一番びっくりされたのが、加害者と被害者に使わる税金の大きな差でした。加害者に使われている税金というのは、刑務所はだいたい年間2,000億です。2000年の時点で調べた、そのころの犯給法に基づく支給額というのは年間5億か6億しかありませんでした。2000年と言いますと、オリックスのイチロー選手がまだ日本で活躍していた時期なのですね。あの方の年俸が6億4,000万ぐらいです。年間千数百件の殺人事件の被害者に支払われる総額よりも、イチロー選手の年俸のほうが多かったのです。
次のページ、2ページ、3ページを開けていただきたいと思います。2ページに私たち「あすの会」の10年の歩みと関連事項という年表があります。年表にしてみました。法律の制定や改正がきわめて短期間で年表になるということは、それまで犯罪被害者には何の権利もなかったのだということの裏返しであるということです。次に3ページの新聞記事を見ていただきたいと思います。
私達は全国で街頭署名活動始めました。そのとき高知県で行った街頭署名の写真を1枚だけ資料としてしようしました。この方が全国犯罪被害者の会初代代表幹事でありました岡村勲弁護士です。元日弁連の副会長でございまして、この資料になぜこのようなことになったかということも書いてあります。
岡村先生は弁護士になってから38年たって、奥様が自分の身がわりで殺されました。38年たって初めて被害者に何の権利もないということに気づいたという告白をされています。
なぜ奥様が殺されたかと、概略を申しますと、犯人はニシダという男ですが、株主取引で損をして、損失補てんしろと山一証券やほかの証券会社に要求していた前科十何犯の男なのです。
山一証券は、岡村先生が顧問弁護士でこういう不正は許さないということで断っていた。それを恨んで岡村代表を殺しに10月10日岡村先生の自宅に行ったのです。ですが、岡村先生は外出されていた。奥様が玄関先で殺されたのです。裁判になって初めて岡村先生は、弁護士だって被害者には何の権利もないのだということを気づかれたわけでございます。
次のページ行ってください。4ページ、5ページですね。これはあすの会の資料の中から、コピーしたものでございまして、この上にあるのが1999年10月31日。「あすの会」ができる前、5件の犯罪被害当事者が東京にある岡村綜合法律事務所で出会った写真です。ここで被害者の会をつくろうという話が進みまして、今日に至っているわけです。
これは1番上の方は、2002年までの「あすの会」の大会のスローガンを載せています。その下に「あすの会」の設立趣意書。そしてこの下にあるのは岡村代表と奥田碩さんです。活動するにはお金が要ります。「あすの会」がここまでできたのは、やはりバックアップがあったからですね。
バックアップしてくれたのが「あすの会を支援するフォーラム」です。岡村先生は一橋大学出身です。この奥田碩さんは経団連の会長で一橋大学出身。そして東京都知事の石原慎太郎氏、この人も一橋大学出身。一橋大学のOB会が主体となって「あすの会」の運動を物心両面でパックアップしてくださいました。
また、「あすの会」の顧問弁護団、資料には犯罪被害者問題研究会と書いてありますけれども、今は略して「あすの会顧問弁護団」と私たちは呼んでおりますが、こういう方々がいろんな研究してくださった。
ヨーロッパ調査団というものを編成し2回現地調査を行いました。ドイツ、フランス、イギリス等々。
1回目はヨーロッパにおける犯罪被害者の刑事司法の権利はどういうものなのか。
2回目はヨーロッパにおける被害者の経済的補償という仕組みはどうなっているのかということを調べました。
次のページあけてください。ヨーロッパにおける刑事司法の問題。ドイツ、フランスというのは犯罪被害者が訴訟参加している、既に達成している国であります
資料の中にもあるのですが、法廷の場というのは裁判官がおりまして、被告席には被告と弁護士がいます。ここに検察官がいます。中央には証言台があります。ここに法廷のバーというのがありまして、一般人と法廷を区切る柵ですね。そしてここに傍聴席があります。
2000年に被害者保護二法ができるまで、犯罪被害者は、この傍聴席、ここに行く為の情報を全く教えてもらえませんでした。わかりますか。自分の身内が殺されたのに、いつ、どこで裁判が行われるかを教えてくれなかった。知る権利がなかった。これを裁判所や検察庁に聞いても「あなたたちは知る権利がない」と言われていたのです。2000年まで。つい、この間です。
たまたま有名事件であったから新聞記者とかに情報を聞いて傍聴していた。もしくはこの証言台に証人として呼ばれたから法廷の中にいた。だから常に被害者は法廷にいるのだと。つまり、私達は錯覚をしているに過ぎなかったのです。
ですから、いつどこで裁判があるかわからないわけですから、例えば死刑の判決が下ったとか、無期懲役だとか、懲役8年だとか、無罪だとか、そういう結果も教えてくれなかったのです。
そして2008年、被害者参加制度が成立しました。犯罪被害者がようやく検察官の隣に座って、ものを言えるようになったのです。わずか3年前ようやくこういう権利が確立されたのだということをまず、ご理解いただきたいと思います。
経済的な問題と言いますと、先ほど申しましたように1981年に犯罪被害者等給付金支給法というのができました。犯給法ですね。これが20年後の2000年に見直しされまして、2001年からの施行ですが、医療費を事件後3カ月間は公費で負担することになりました。これも不合理な話しだと再度見直しされて1年間は公費負担しますと改正されました。
これが2008年に、今は支援法と名を変えて見直しがされたのですが、これもまた不十分なままなのです。これを私たちもう1回見直してくれということを言っているわけです。こういう経緯をまずご理解いただき、これからの話をお聞きいただけたらありがたいかなと思います。
まず、「あすの会」は刑事司法における犯罪被害者の権利をきちんと確立しようと、そういう思いで2002年の12月8日の第4回大会におきまして、署名活動を全国展開しようということにいたしました。
資料の6ページの上にある2003年2月1日、2日、東京新宿区とあります。この日から7ページの1番下の右下に2004年の2月1日三重県と、あります。私たち被害者自身も動かなければいけないということで、全国の47都道府県県庁所在地で街頭署名活動やろうということで行った日にちと場所が書いてあります。丸1年かけて実行しました。本当に大変でした。
署名活動始めて大体40万筆近く39万を超えたころ、首相官邸から、話を聞きたいという話がありました、6ページにある写真が、当時飛ぶ鳥を落とすというか、人気絶頂でありました小泉首相に面会した時のものです。首相も被害者の問題をあまり御存じなくて、約25分間話をしました。首相は最後に「そうか、そんなにひどいのか」とびっくりされました。
そして1、政府として検討する。2、自民党も検討する。とおっしゃってくださったわけです。早速これは実行されまして、その翌々週、私たち「あすの会」の事務局に自民党の国会議員の方が聞き取り調査に来られました。基本法の成立は小泉首相の鶴の一声で決まりました。
その次、私たちは何をしたかというと、地方自治法99条に基づく意見書を求める活動をやったわけです。2004年の3月3日午後3時から、京都府、大阪府、兵庫県、この3つで、まず全国の先駆けをしようで行ったわけです。8ページには大阪府議会、そして右横のには兵庫県、井戸知事と面会している写真があります。
実は、午後3時から陳情する事になっていたのですが、井戸知事が物すごく熱心でして、午前中に実現しました。私の「3月3日午後3時3カ所で」というもくろみは井戸知事によって破られたのです。
これを全国で展開しまして、110を超える意見書が国に提出されました。
基本法は、さき程の「自民党として、政府としてとして検討する」という話になりますと、政府案として出てくる話になるわけですが、この陳情活動が民主党やほかの党の方々の共感というか、理解を生みまして、犯罪被害者等基本法は議員立法という形で成立しました。この基本法は世界に誇れる、日本が世界に誇れる法律をつくったということで、世界から評価されています。
このころ、日本の被害者支援は、世界から二十何年遅れと言われておりました。これがいきなりトップに立つ法律になったわけです。それぐらいすごくいい法律になっている。このことは皆さんご理解いただきたいと思います。
2004年の12月1日に参議院本会議で可決しました。衆議院本会議での議決のときに私は見に行きました。12月1日の参議院のときは岡村先生等々行かれまして、衆議院は全会一致で可決。参議院では1票だけ反対票が出ました。賛成232票。反対1票で基本法は可決成立しました。
その翌年の12月27日、閣議決定されました。被害者の刑事司法に参加する制度を実現するこれを3年以内に実現することが盛り込まれました。
12ページ、13ページを見ていただきたいのですが、2007年6月20日ですね、被害者の訴訟参加が認められた改正刑事訴訟法が成立したのです。
14ページをあけていただきたいと思います。少年法の改正も2008年の6月11日、この被害者参加制度ができて翌年に実現しました。少年法は2000年にも改正があったわけですが、この14ページ下に土師守さん、土師淳君のお父さんが改正少年法について感想を書いて下さっています。
土師さんともよく話しました。少年法を変えるには刑事訴訟法の根幹を変えない限りは、十分なものはできないと。順番にやっていきましょうねということでやってきました。
経済的補償問題に関しても、その順番で進めていました。刑事訴訟法の被害者の立場をつくることがまず第1番。それができてから今度は経済的な補償問題をやろうということで、一昨年から私たちはそういうことを社会に訴えるようになってきたわけでございます。
ここで、とりあえず皆様方にはおさらいとして、ことしの2月にNHKが放送してくれました「クローズアップ現代」、この番組は30分あるのですけれども、刑事訴訟を変えるためにどれだけ私たちが苦労してきたか。岡村勲先生が苦労してきたかということをまとめてありますので、皆さんに、それを見ていただきたいと思います。
【映像鑑賞】
刑事司法の問題の変革に関しておさらいという意味でビデオを見ていただきました。こうしてようやく司法問題に関する改革も根本部分は劇的に変わったわけでございます。
今日、冒頭申しましたが、皆さんよく考えてください。この変革というのはもう「あすの会」のメンバーにはだれ一人として遡及しないのです。裁判は終わっていますから。これは、だから今被害に遭ってない日本国民全体の権利を私たちは被害という体験を通じて支援活動をしてきたのです。
私たちは自分自身のためにやっていると謝った理解の仕方をされている。しかしそうではないのです。
昨日も、今日も、明日も犯罪があります。。新聞出ています。この人たちが裁判になったとき、私たちが体験したことを2度と体験させない法体系をつくりたいということで、私たちは立ち上がってきたわけです。
だってそうでしょう。身内が殺されたのに裁判がいつどこであるのかもわからない。教えてもらえる権利もない、「あんたたちに、そんな権利はないのだ」と言われ続けてきたのが犯罪被害者なのです。
これは私たち被害者の問題ではなくて、国民一人一人の権利なのです。人権なのです。今日は人権講座ですが、犯罪被害者の人権は、これまで存在しておりませんでした。
今日の資料の中で14ページ。今年の9月30日に上梓された「30年史」に私の原稿が掲載されました。19ページの犯罪被害者等基本法の成立というところから読ませていただきます。今日のレジュメにあります今後の課題ということも含めて書きました。。
19ページ下のところからですね。2004年12月1日。あすの会は基本法成立を祝って声明文を出し霞ヶ関にて記者会見を行いました。その声明文のところからから読ませていただきます。
本日、犯罪被害者等基本法が成立した。我が国の犯罪被害者等は、何の権利も認められず、十分な支援もなく、好奇と偏見の目にさらされて生きてきた。
犯罪被害者等基本法は、これらの反省の上に立って、犯罪被害者等は、個人の尊厳が尊重され、それにふさわしい処遇を保障される権利を有することを明確にし、犯罪被害者等の権利利益を図ることを目的としている。
私たちは、かねてから、この犯罪被害者等基本法は、犯罪被害者等を支援するための支援法であってはならず、犯罪被害者等の権利を実現する権利法でなければならないと主張してきたが、本日成立の法律はまさにそれであって、犯罪被害者等が権利の主体として、我が国で初めて認知されたのである。
基本的施策は、私たちが全国署名活動して要望した訴訟参加、附帯私訴制度の実現にも道を開くなど、かなり詳細に定められているが、ただ、私たちが強く求めた「公の秩序維持のための刑事司法」から「犯罪被害者等のための刑事司法」への転換について触れられていないのは残念である。
基本計画の策定はこれからであり、犯罪被害者等の権利はやっとスタートラインに立ったに過ぎない。 この法律が、きょうもあすも発生する犯罪被害者等のために、真に機能するよう、われわれはさらに運動を続けていく所存である。
この立法のために精力的に努力くださった国会議員の方々ならびに署名運動に御協力くださった55万7,215人の方々に心から感謝申し上げる次第である。
基本計画が閣議決定され、基本計画推進会議のもとに3つの検討会が置かれ、私は民間団体の援助に関する検討会の構成員に任じられました。今でもあの当時を思い出すと口の中がざらついてきます。
犯罪被害者の権利実現とは、法治国家である日本では法と行政による法の執行であります。「あすの会」は、地方自治体での相談受付で適切な支援の行政措置がなされることを望んできました。責任が明確でない民間支援団体が被害者からの電話相談を受けたり、裁判所等で付き添いをしたり、援助団体になってということで解決できるレベルの話ではないのです。検討会では、これ以上タオルを絞っても予算を出せないという警察庁の意見を受け、自治体の首長部局から年度枠と傘下団体に予算措置がなされることが決まりました。
一方、地方自治体は今年4月になっても市町村レベルで80しか支援条例を制定していません。基本法には地方自治体の責務がうたってあるのに、遅々として進んでいないのです。民間支援団体に予算措置を行うことが被害者支援になるという錯覚が国や自治体に生じているのかもしれません。
衣食足りて礼節を知るという故事があります。「衣食足りて」を「被害者の権利が確立して」と置きかえ、「礼節を知る」を「総合的な被害者支援ができる」と置きかえれば、私たちが望む支援のあり方が御理解いただけると思います。
それが実現して、初めて全国で均一の公平な責任ある総合的被害者支援を受けることができるようになります。これを私たちは権利確立と言います。そして、この後民間の支援のあり方が自然と姿を見せてくるはずです。このような手順でことが進まない限り、結局憂き目を見るのは犯罪被害者です。100年後も200年後も犯罪は起こります。過去からこれまで犯罪のないときはなかったのですから。国や自治体が先頭に立ち被害者支援が確立されることを心から願うのみであります。
2008年7月1日に支援法が施行されましたが、施行以前の被害者には支給しません。目の前に現実に困窮者がいるのに、既存の支援団体はどこも異を唱えてくれません。被害者の医療費自己負担も2000年度まで放置されていました。被害者支援を標榜するならば、これらを解消する活動が早期にあってしかるべきでした、それもなかった。私の妻の後遺症は重く、これまで多額の医療費を自己負担してきました。妻の収入はなくなり、貯金金は使い果たし、借金生活です。自転車操業です。エンゲル係数なる経済用語がありますが、エンゲルならぬビクティム係数という造語を仮定しますと、それがとても高いまま、この17年間を過ごしてきました。
それで、昨年1月過去の被害者を救済する目的で機能し始めた犯罪被害者救援基金に申請をしました。しかし、ことし3月22日付で「審議を経て検討した結果、支給しないことといたしましたので通知します」という郵便物が届きました。不支給の理由も書かれていない、たった1枚のペーパー。
救援基金の年間わずか2,000万円の予算で、何人の過去の被害者を救えるのでありましょうか。こんな算数すら、どこのだれも指摘してくれません。被害者の生きる権利など眼中にないのでしょうか。
「あすの会」はことしの第11回大会で、設立の目的である経済的補償に関し、新しい被害者補償制度を提案しました。年金制度と医療費や介護費用等の現物給付を盛り込んでいます。また、現在困窮している過去の被害者への補償も含めています。被害者支援には、こういう公的な経済的支援制度が必要です。しかし、被害当時者団体がなぜ未だに、このような提案をしなければならないのでしょうか。
犯罪被害者問題に関し、マスコミも数多くの報道をしてくださるようになりました。今見た「クローズアップ現代」は、岡村前代表の鬼気迫る熱意を見事に描いてくれました。また、但木敬一、元検事総長が被害者参加制度成立に申し述べられた。「我々は抽象的な思い込みをしていたんじゃなかろうか」という言葉は意義深く、歴史に残るものだと思いました。
観念は事の本質を見抜けぬようになり、真の解決をもたらしません。私たちは、法による権利確立を求めてきました。被害者の刑事司法への参加はそれを達成しましたが、経済補償問題も同様で、さらなる充実が必要です。
犯罪被害者等基本法は被害者のための権利法であり、支援するための支援法ではない。この「あすの会」の声明文は、私たちの心からの叫びであります。この30年史が被害者の権利について、改めて考え直す機会になることを期待したいです。
こう書かしていただきました。被害者支援ネットワーク、皆様行政の方々であればご存じだと思います。全国にようやくできた被害者支援ネットワークですが、よくよく考えますれば、この支援ネットがやっていることは警察業務の民間委託部分だけでして、被害者支援のごく一部でしかないのです。この団体がやっていることが被害者支援のすべてだということを勘違いされては、私たち被害者の権利というものは永久に無視される事になります。。
ここで一番気をつけなければいけないのは、その団体が支援する対象者の言葉を奪ってしまうことです。今そういう状況にあるということをご理解いただきたい。なぜなら、これまでの被害者参加制度、こういうことにネットワークは一切かかわってきませんでした。私たちが展開した地方自治法の99条に基づく意見書、請願活動、一切手伝ってくれませんでした。署名活動も断られました。
そういう団体が、私たちがやってきた活動の成果を権利法ではなく支援法であるかのように解釈しているのです。皆さん厳しい目をもって見ていただきたいと思います。私たちはこれからも、十分な経済的補償を実現するために行動いたします。今困っている人を救わなければ、人間じゃないです。基本法の精神から外れていると私は思います。そして、このことを支援団体はどこも言ってくれません。遡及しないのが当たり前だと思っているのです。C型肝炎救済は、過去の被害者、過去にC型肝炎になった人を救うための法律なのです。なぜ犯罪被害者だけが遡及しないのでしょうか、それを当たり前に皆考えているのでしょうか。そこの部分を皆さんに、考えていただきたい。
これは犯罪を取り締まる法律ではないのです。手続法なのです。だれを手当てするか、そこを考えたら遡及しても何らおかしいことではない。その人を逮捕するための法律ではないのですよ。
刑事裁判が過去に訴追しないということは、人間としてわかります。当たり前です。しかし、国民を救うための救済法であれば、過去に遡及適用するのは当たり前だという、そのような意識を持っていただきたいと思います。不確かな未来の被害者救済に予算を組むのではなく,今現在救済を要する具体的国民への救済措置をとる事が先決なはずです。
続きまして、先ほどの映像の続きをご覧いただきます。十数分間被害者の実例が出てきます。こうしたことを放っておいていいのかということでありますので、また見ていただきたいと思います。
【映像鑑賞】
経済的な補償問題、最後に諸澤先生が世界との比較、国民1人の負担がどのぐらいかということを言っていただきました。
冒頭申しましたように、私は代表幹事となったわけですが、幹事の中で遺族でない人間は私だけだと申しました。そういう人間がなぜ代表になったのか。社会の関心というのは、どうしても遺族の話になってきて、遺族の子供たちをこうして支えるとかはいろいろありますが、現実に、うちの妻とか映像に出てこられた方のような被害者の人が、どのぐらいの数がいるか私もよくわかりませんが、本当に金が要るのはこういう人たちなのです。飯食わさないといけませんよね、医療費問題もあり、介護の問題もあります。この人も働いていた、さっきの男性の方もね。うちの妻も働いていました。その収入がその家計の中からなくなってくるわけです。
昔は、十何年前ですかね、「おやじ狩り」という言葉を警察自らが使っていて、犯罪を助長していたようなものでした。私は警察に何回も言った。こんな言葉使うな、おやじ狩り。そして暴走族、この言葉使うなと、使ってくれるなとお願いしました。
その被害者になった人、家庭を見てください。私は、植物人間になった人、その人の家庭をたくさん見ています。主たるおやじ、家庭を支えるおやじですね。私のところは、私ではなくて妻が被害にあいました。私のほうが収入が多いから、こうして、ここまでやってこられましたが、自転車操業なのです。もともと家計って、皆さん方もそうですね。就職して、年収何ぼ、1か月何ぼやと。だからこのぐらいの無駄遣いはやめようとかいろいろなことで家計をやっているわけです。いきなり第三者によって、それ奪われてしまったのです。私も、70才までずっとローンを払っていかねばなりません。本来2人ではたらいていればマンションのローンもとっくに終わるはずだったのが、生活の為、新たに1,000万円以上借金してしまいました。後1年半で、私は定年なのです。収入が半分になったらどうなるのですか。
本当に最後にお願いですが、今の話は、今困っている人たち、被害者をどうするかということ。これは過去の被害者への適用、その話なのです。これはぜひやっていただきたいと思います。そして、刑事司法のことについては、私たちはこれからも行動していきます。まだこの中にも改正しなければいけないものはたくさんあるからです。ですが、これらは皆様方が役割を持って、日本の国というのをよくするために皆さん方が頑張ってほしいと思っております。被害当事者である私たちの役割はもう終わらせてほしい。私たち被害者が動かなくてもきちんとした世の中になるように、皆様方に頑張っていただきたいというのが私の願いです。なぜなら、この問題は今被害に遭っていない皆様、国民全体のものだからです。
以上です。御清聴ありがとうございました。
(質疑応答)
○ すみません、少し不勉強なので教えていただきたいところもあるのですが、犯罪被害者救済となると、恐らく1点問題として出てくるのは交通事故の被害ですね。あれも憲法的には業務上過失傷害あるいは致死ということになるので、それを含めると巨大なものになってしまうということがあるのが1つ。
あと、そのほかの制度のところにあるようですけど、代位弁済制度というのがあると思うんですけど。例えば被害者に対して行政が一たんお金を支給して、それで加害者のほうから給付を取りかえしていくという制度が、それが仕組めないものか。既に検討されているのであれば、その状況を教えていただけたらと思います。
○(林 良平) 2件ですね。交通事故の話で、交通事件という表現もしたりしますけれども、いわゆる保険という形で、要するに「自賠責」プラス「任意保険」で植物状態になった人たちには、だいたい1億5,000万ぐらいが、出るようになります。ですから、自賠責からは、0歳児から死ぬまで90歳の方でも一律3,000万か4,000万。年代に関係なくその金額が支払われ、そして、任意保険の分もプラスで補償されます。
比較しやすいのが下関事件とか、この間東京の秋葉原であった事件を比較すればわかると思うのです。同じ犯人が車で突っ込んで殺した人間と、その後降りて、刃物で刺して殺された人がいます。亡くなったことだけで見ますけれども、車で殺されたら任意保険も出ますから、多分遺族の方々には7000から8000万のお金が出る。しかし、車を降りて20歳の女の子殺された。その女の子は多分五百何万で終わりです。
また、うちの会の幹事が先ほどの映像に出ていましたが、本村君ですね。山口県光市で、奥様と0歳児が殺されました。普通これを自賠責みたいにいうと6,000万ほどが考えられるのですが、この犯給法ではその人たちの年間稼いだお金が基本ベースとなりますから、お二人で400万です。葬式代で終わる金です。それ以後何も出ません。あれは1999年の事件ですから。2000年から1.5倍に見直しされたのです、現在は1人300万ぐらいになります。1人300万だからお二人の場合ですと、600万ぐらいになるはずでした。本村さんはその前の段階ですから、400万ほどしか出ていない。
また、2008年に支援法が変わって、今までより倍の額になりましたが、現実は5歳刻みで収入に基づく最低額と最高額を補償しますので、自賠責並みと私も言ったのですが、実際には、50歳ぐらいでそれなりに税金を納めている人が、最高額として殺されて2800万ぐらいが出ますから、非常に差が出ます。
あと、財源の問題ですが、交通事故の場合は財源がありますから、自賠責に入っていなかった車の被害に遭った人たちもこれで補償されます。犯罪被害者の場合は、先ほどの犯給法のお話のとおりです。私たちは、今の犯給法の影響ではないが、もう少し、せめて自賠責並みにしてもらいたいということと、あと医療費の部分、現物給付ですね。やはり困っている人にはきちんとやる。犯罪によって亡くなって、経済的に困らない被害者もいるわけですね。そういうパターンもあるというのはわかります。おじいちゃん、おばあちゃんが殺された家庭というのは、別にこのおじいちゃん、おばあちゃんが家計の主体者じゃないわけですから、そういう人たちはそれなりにという、必要な人たちに必要な分を、ということですね。ちなみに、子どもというのは何も罪はないわけですから、少なくともおやじさんが殺された、お母さんが殺された、両親が殺された、この子どもたちにはきちんとした学校の教育を受けられる高校を出るぐらいは補償する、そういう制度をつくってほしいということを私たちはお願いしているのです。だってなにも罪ないじゃないですか。そういうことであります、すみません。長くなりました。